東京に来て、いろいろな環境が変わって、今思うこと。
色んなことについて、実際やってみないと分かんないもんだなーって感じてる。
合うか合わないか。
そうは言っても、この短い人生の中では全部が全部できるわけではないから、ある程度の取捨選択は必要なんだけど。じゃあどうやって選択すればいいの?って話で。
最近ちょっと薄々感じてるのは、人には居場所ってやつがあるんじゃないかという。
もう少しわかりやすく言うと”生息地”。
生きれる場所ってやつが。
例えばパリピの生息地で引きオタが生きていくのは困難。
最悪、死ぬ。
いやそれは言い過ぎだけど・・でも、まぁ、心は本当に死ぬかもしれないね。
求められているのが”パリピ”のマインドなのに、真逆な引きオタ属性が頑張ったところで死んじゃうよ!!ってことですよ。
引きオタコミュニティにパリピが参加した場合も然り。
エラ呼吸の動物が陸上で頑張っても死んじゃうよ!!って。
頑張ればどうにかなるよ努力思想で頑張っちゃうと死ぬよ!!!って。
あと、これは伝わらないと思うけど、私の中では高校時代の文系・理系のクラス分類がすごいシックリ来ている。
学年で1組から6組までは文系、7組から12組までは理系だったの。
面白い事に文系・理系でクラスの雰囲気が全然違った。
学校って結局社会の縮図みたいなとこあるから、学生時代のことに当てはめて考えると社会について理解しやすい気がする。
私はどうあがいても文系のクラスにはぜッッッッッッッッッッッッッッッたいに馴染めない人なんだけど、ある環境について「ここは高校時代で言うところの文系か?理系か?」で考えると自分の存在できる場所が分かるような気がしてる。
まぁ、広分類で言うとパリピor引きオタの分類になるんだけど。
あるいはリア充or非リア充かな。
あ、でもこれは”環境”の話であって、そこに所属する人と仲良くなれるか否かはまた話が少し違ってくるからね!別に”仲良くなれない関わりたくない”って言ってるわけではないからね。ここ重要だから勘違いしないでね!
でもその環境についても外から見てどう見えるか?であって、実際中に入ってみたら、思ってたよりもパリピな場所だった・・・とかある。
あと物事はそう極端なものではないから”どちらかというとこっちより”って場合がほとんどで、その”どちらかというと”が自分にとってどれだけフィットする”程度”かってのも大事だったりする。
から、まぁ、結論を言うと実際やってみないと分かんないなーって。(ふりだしに戻る)
結局のところ、やってみてダメだって思ったら次に行くっていうトライアンドエラーが大事っていいう月並みな意見になるんだけど。
「たぶんダメだから止めておこう」「ここは自分には合わないと思うから止めよう」って思想になってたら「とりあえずやってみよう」に切り替えた方がいいことあるかもよって事です。